1965 エリザベス女王からMBE勲章を授与される事となった。
しかし過去も含めた叙勲者から、ビートルズと一緒にされる事に反発が起き何百個もの勲章が送り返されてきた。
 ビートルズ自身も有難迷惑だったが、他の叙勲者が頭にきているのを知ると
あえて、お遊びで貰ったのだそうです
「文句を言った叙勲者の多くは戦争で人を殺して貰ったのに対して、僕らは人を楽しませて貰ったんだ」(ジョン・レノン)
M.B.E.勲章
イギリスで大成功
1962/10
1stシングル●「ラヴ・ミー・ドゥー」発売 
結果は17位
       レコードを買ったのは地元リバプールのファンが殆ど


1963年のレコード
2ndシングル●「プリーズ・プリーズ・ミー」初の全英1位獲得
       ブライアン・エプスタインはヒットしそうな曲を用意していたが
       4人はオリジナル曲でいきたいと主張した結果の1位獲得

3rdシングル●「フローム・ミー・トゥー・ユー」全英1位
4thシングル●「シー・ラヴズ・ユー」全英1位
5thシングル●「抱きしめたい」予約だけで全英1位獲得
1stアルバム★『プリーズ・プリーズ・ミー』 全英1位
2ndアルバム★ 『ウィズ・ザ・ビートルズ』
キーワード
ブライアン・エプスタイン(写真右上)
レコード店主時代にいち早くビートルズを見出した
後にマネージャーとなり大成功へ導いた人物。

ジョージ・マーティン(写真右下)
オーディションで不合格になった彼らに、EMIデビューをもたらしたプロデューサー

襟無しジャケット
揃いのスーツで襟の無い斬新なジャケット(上着)はピエール・カルダン製

マッシュルーム・カット

多くの若者に影響を与えた髪型
                    こんな感じ
1965/8 シェア・スタジアム・ライヴで
6万人近く集まり当時の記録となる。
シェア・スタジアム
1966/7 ビートルズ東京公演
今でこそ当たり前になった武道館ライヴだが当時日本武道館で初めての武道以外の催しだったので論議となった。

ザ・ドリフターズ
武道館コンサートでブルーコメッツ等
と共にビートルズの前座を勤めた。

浅井慎平

ビートルズ東京公演の
オフィシャルカメラマン
東京公演(日本武道館)
Story-~2
ザ・ビートルズ デビュー〜前期
イギリスの町リバプールが生んだ、ザ・ビートルズは
1962年7月 イギリスでシングルデビューが決定する。
メジャーデビューにあたりブライアンは先ず4人の対してイメチェンを図った
皮ジャン、リーゼント、ステージで咥えタバコ  → →  揃いのスーツにサラサラヘアー
                                     左端: ポール・マッカートニー(20才)
                                     中  : リンゴ・スター(22才)
                                     右上: ジョージ・ハリスン(19才)
                                     右下: ジョン・レノン(21才)
1964/2アメリカ初公演、
1964/3シングル「キャントバイミーラヴ」が発売される
同じ頃、過去に発売してコケた小さなレコード会社がシングルを再発売、数社から一斉にシングルが発売されたのが原因で、1964/4/4付アメリカでビルボード1-5独占
1位 キャント・バイ・ミー・ラヴ/ザ・ビートルズ
2位 ツイスト・アンド・シャウト/ザ・ビートルズ
3位 シー・ラヴズ・ユー/ザ・ビートルズ
4位 抱きしめたい/ザ・ビートルズ
5位 プリーズ・プリーズ・ミー/ザ・ビートルズ

1位〜5位 独占
 アメリカ市場を狙いアメリカEMIに売り込んだが拒否されてしまう、イギリスでレコードが売れてもアメリカで売れるとは限らない、それが現実だった。
 結局
小さなレコード会社からシングルを発売することとなった、曲は既にイギリスで1位を獲得したものばかりだったが結果は殆ど売れなかった。

しかしその後
ビートルズ人気はイギリスに留まらずヨーロッパ全域にまで拡大すると、その評判がアメリカに渡り、遂にはアメリカのレコード会社も発売する事となった。
1964/1
キャピトルレコードからアメリカデビューシングルとして「抱きしめたい」が発売される、このシングルはアメリカのビルボードで1位獲得
アメリカ進出
1964 映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」公開
この邦題「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」の名付け親は
当時、映画配給会社で宣伝の水野晴郎。 
水野晴郎
1966 雑誌のインタビューでジョン・レノンは「ビートルズはキリストより有名になった」と発言。
ジョン本人は特に深い意味も無く発した言葉だったが世間では大センセイションとなる。後日ジョンは「意味が正確に伝わらず大きな誤解を招いた」として謝罪した。
キリスト発言
イギリス王室主催ロイヤル・バラエティー・ショー
1963/11 イギリス王室主催のロイヤル・バラエティー・ショーのステージ上でのジョン・レノンの有名な一言 「次の曲は皆さんにも参加してもらいます安い席の皆さんは手拍子を、高い席の方は宝石を鳴らすだけでいいです」
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NEXT ビートルズ後期
1964/2 アメリカの超人気TV番組「エド・サリバン・ショー」に出演
視聴率72%の記録を生む。
この間ニューヨークでの青少年犯罪が発生しなかったという珍記録も生んだ
青少年犯罪
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