ライブ活動終了
1966 ライヴ活動をしないと宣言し、サンフランシスコでの公演を最後にビートルズはスタジオワークに専念することとなった。
この頃から音作りに大きく変化が現れ、「ラバー・ソウル」、「リボルバー」、「サージェント・ペーパーズ・・・・」などの名作と言われるアルバムを発表することとなる。
Story-~3
ザ・ビートルズ 中後期
彼らのライヴは、常に異常なまでのファンの声援で観客に音が聞こえないどころか、ビートルズの4人が自らの演奏の音さえ聞こえない状態だった。
また、ハードスケジュールによる身体疲労に加えてフィリピンでの問題やキリスト発言に対し、各地で発生した反ビートルズ勢力などで精神的にも疲労していた、そして
4人はライヴへの情熱を失っていった。
「愛こそはすべて」All You Need Is Love
1967/6 全世界向け衛星中継「アワ・ワールド」に出演、「愛こそはすべて」はこのために書き下ろされた。
インドで瞑想
1967/8インドに滞在しの宗教家マハリシ・マヘーシュ・ヨギの元へで超越瞑想の会に参加

1968/2マハリシがビートルズの名声を利用していたり、女性に性的興味を示した等の疑惑により訣別
アップル設立
マネージャー ブライアン・エプスタインの死亡の知らせがインド滞在中の4人のもとに届く。
ビートルズ成功の影には、優れた楽曲もさることながら敏腕マネージャーとしての功績も大きかった、そのため5番目のビートルズとも言われていた。
ビートルズがライヴ活動を辞めスタジオ活動が中心になってからは、ブライアンの腕の揮いどころが無くなる。1967/8年ノイローゼによる睡眠薬の多量摂取によって死亡
ブライアン・エプスタインの死
これまでビートルズを育ててきたブライアン・エプスタイン亡き後、ポールの発案プロデュースによりTV映画「マジカル・ミステリー・ツアー」が製作されイギリスで視聴率75%を記録、しかし物語が掴めない難解な内容は酷評され、ブライアン無しでやった初仕事は”ビートルズ初めての失敗と言われた。
初めての失敗
アップル屋上のライヴ
只一人ビートルズとしての活動に意欲的だったポールは、昔のビートルズに戻る事を願って新しい試みとしてセッションの模様を映像として記録するビデオ収録セッションを発案した。
その頃からジョン・レノンの傍にはいつもオノ・ヨーコが一緒で、セッションの時も例外ではなかった。常にカメラに撮られることとオノ・ヨーコの存在はメンバーのストレスとなっていた。結局このセッションでメンバー間の溝を埋めることは出来なかった。この企画の締めくくりとして、アップル社屋上でビートルズ最後のライヴパフォーマンス(現在で言うゲリラ・ライヴ)が約45分行われた。

録音時間29時間に及んだスタジオセッションは当初”最もまし”を理由に「ゲット・バック」のタイトルで第1弾シングルとアルバム製作予定だったがアルバム製作は不可能・失敗に終わった。
(1年以上後の1970年にフィル・スペクターによって「レット・イット・ビー」として登場する)
1969/7 アビーロードスタジオでアルバム「アビー・ロード」の為の最後のセッションが行われる
1969/9 ビートルズ最後の録音アルバム「アビー・ロード」発売
その後、ポールの死亡説が流れるようになった、「アビー・ロード」のジャケット写真の中で
  1.車のナンバー IF28 もし生きていれば28歳
  2.左利きのポールが 右手にタバコを持っている
  3.四人の並び順が葬列の死者にあたり、裸足で目を閉じている
  4.「カムツギャザー」で「1足す1は3」と歌い3人を連想
     噂はエスカレートし
  5.「サージェント・ペパーズ・・・」の裏ジャケットでポール一人後向きで、背後から頭上に手を
   伸ばしているのが死を意味する
  6.「マジカルミステリーツアー」でポールが被っているウォルラスは死者のシンボルだ
  7.「レボリューション9」を逆回転させると”ポールは死んだと聞こえる”
ポール死亡説
1970年
1970/1 ジョン「解散してしまうかもしれない」発言   
1970/3 「レット・イット・ビー」ビートルズ活躍中で最後のシングル
1970/4 ポール・マッカートニー脱退
1970/5 1969のセッションで失敗に終わった「ゲット・バック」が、新たにフィル・スペクターの手によって
     アルバム「レット・イット・ビー」として発売される
1970/8 映画「レット・イット・ビー」公開
1970/12 ポールが3人に対して正式解散要求を訴訟しビートルズは解散
その後
1980/11 「ダブルファンタジー」発売 ジャケット撮影篠山紀信
1980/12 ジョン・レノン ダコタアパートの前でファンに射殺される 
1984   ジョンの前妻シンシアとの子供ジュリアン・レノンがレコード・デビュー、シングルが大ヒット
      (顔はジョンの面影があり、声もジョンにそっくりだった)
1998   ジョンとオノ・ヨーコとの息子ショーン・レノンがレコードデビュー
2001/11 ジョージ・ハリスン 長い闘病生活の末他界



イエロー・サブマリン
共同出資で「アップル社」設立
アルバム「ザ・ビートルズ」
1968/11 もはやビートルズの4人は各人で目指す方向が異なっていた。このアルバムに関してはインド滞在中の作曲が殆どであったという事情もあるが、以前のようにアルバム製作のために4人でセッションすることは無かった。この頃からメンバーの間にミゾができはじめていた。
「イエロー・サブマリン」映画とアルバム発表は契約の都合上製作されたにすぎない。
ビートルズの4人は映画製作に全く興味が無く全て他人任せだったが完成後は出来の良さに「関わるべきだった」と後悔した。
アルバムについても新曲は過去の未発表曲を収録したにすぎなかった。
→TOP
→前期

→マイナー時代を見る
inserted by FC2 system